Last_Hacks

 この閉塞感に穴を開けよう。

何か違うと言わずにはいられない

 分裂勘違い君劇場においては、時々挑戦的なエントリーがある。まるでディベートのように、白であったはずのものが次第に黒と思えてくる。心の中にある「何か違う、だまされるな」という叫びは、テクニックを弄した詭弁で塗りつぶされていく。
 例えば下のようなエントリーがそうだ。
努力しない人を国家が救済すべき14の理由 - 分裂勘違い君劇場

クルーグマンを山形浩生が翻訳したような文体は、本心ではない何かを言わんとしているとしか思えない。

 気になるなあ、このエントリーを読んだせいで眠れなくなってしまった。読んでなかったことにするのは負けたような気がするし、言い返せないのは癪に触る、かといってインラインで1行ずつ指摘していくのは、顔を真っ赤にして必死だな(藁)と嘲笑される姿そのものだ。
 こういうときはトラックバックを順次読んでいけば、その問題点を多くの人が指摘しているので、溜飲は下がるがドリルの答えを見てしまったような罪悪感があるので、自分の考えで反論してみる。

 まず一つ目の問題点は、ダメな人ばかりを集めるのは必ずしも悪いことではないということだ。集団の能力でよく言われることは、自分から働く人は3割、働かない人も3割、残りの4割は状況次第でどちらにでもつくという「サシミの法則」というやつで、場合によっては2:6:2だったり1:8:1だったりする。これは集団を構成する人間の能力は正規分布に従うという仮説に基づく。事実、多くの場合それは成立し、成績を評価するのに偏差値が使われる理由でもある。

 様々な集団からトップを集めてオールスターチームを作っても、2割ほど役に立たない人が現れる。逆に、ダメな人だけを集めて集団を作ると2割ほど優れた人が現れるということだ。事実、左遷集団のなかで素晴らしいリーダーが生まれて集団が生まれ変わるといったことがたまに起こる。だから、ダメ集団を構成すること自体は必ずしも悪ではない。

 二つ目の問題点は努力をしない人物像を勝手に想像して当てはめているということだ。仮想敵国と同じく、都合良く非難することができる。「グズの人にはわけがある」という本によれば、少なくとも6つのタイプのグズの人がいて、それぞれ彼らなりに理由があって、それを聞いてほしいにも関わらず、誰も聞いてくれないから働かないことで自己表現をしていると思われる。

 三つ目の問題点であるが、不幸な立場にいる人を国家が救済すべきなのは同意するし、不幸な立場になるにあたり、程度の差こそあれ本人に起因する点もあるだろう。
 しかしながら、「努力をしない人」が社会環境に及ぼす害というような表現で書かれるのは、いかがなものか。彼らは毒物でも産業廃棄物でもない。人間である。


  1. 2009/01/21(水) 00:04:25|
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